『metallic maid girl』


 僕の名は、でんでろ音波虫
 とある地方都市に住む普通の17歳の高校生。と、言いたいところなんだけど……。
 まあ、それはいいとして。まず、自己紹介から。
 先にも言ったけど、僕の名はでんでろ音波虫。みんな、でんでろ、って呼んでるけどね。両親は今海外出張で家を開けていている。
 ひとりだ。今僕は、この家にひとりで暮らしている。おかげで好き放題さ。ああ、Hな本もビデオも見たい放題さ。でも、炊事やら掃除やら自分でしなきゃいけないので、大変な面もあるんだなあ。
 ともあれ、うるさい両親がいないので、快適な一人暮らしを満喫している。
 と、言いたいところなんだけど……。

その1 朝の目覚めはマシンの叫びとともに

 朝が来て、目覚ましのベルが、ならない、そのかわりに僕を起こす声。
「でんでろさん、朝ですよ」
「うーん、あと5分」
「何言ってるんですか。さっきもそういってしっかり一時間も寝ちゃって。学校が始まるまで15分もないですよ」
「ええ゛!!」
 慌てて飛び起きれば、確かにその通り。僕の家から学校までチャリを飛ばしても30分はかかる。これはやばい。
「わたし、RX-7のエンジンかけてきます!」
 といって部屋を飛び出した僕を起こした声の主。
「え、ちょっと。またあれ?」
 しかし、応えはない。こうしちゃおれんと着替えを済ませ、食パンを一枚くわえて無理矢理口の中におしこんだ。テーブルにはご飯とお味噌汁があったけど、食べる暇なんてなかった。後ろめたい気持ちでそれを見て、外に出る。すると。
 ド、ド、ド、ド、ド。
 というFD3S・RX-7のアイドリング音。パープルメタリックに彩られたそのマシンは、今か今かと出撃のときを待っている。そのコクピットに座るのは……。
 メイドロイドのかすみさん。ショートカットで澄んだ黒い瞳を持つ、紺色のメイド服に白い前掛けの似合う少女型アンドロイドだ。さっき僕を起こしたのも、彼女だ。
「でんでろさん、早く早く」
「わかってる!」
 とさけびながら、助手席に乗り込んだ。
「さあ、いきますよ!」
 何も言わず、つばを飲み込んだ。
 アクセルが全開にされた。

 
グアオオォォォーーーーーーン、ドギャアアアアア!!

 と、エンジンの叫び声もヒス女のようなタイヤの音も凄まじくRX-7は猛ダッシュする。
 一気に視界が狭まって、Gでシートに体は押し付けられる。その瞬間、RX-7はまったくの別世界を見せてくれる。
 一気に狭まる視界。吹っ飛ぶまわりの景色。鼓膜を劈く轟音は、腹にブチ当てられる。なにもかもが、一瞬にして通り過ぎて、ゆっくり朝の景色をみせてくれやしない。ただ、青空に白い雲、朝日だけは、そのままの姿を押しとどめている。それを、追いかけるようにRX‐7は走る。
 次々に交わされるほかの車たち。なにより、スピードメーターの針なんて怖くてとても見られたもんじゃない。
―危ない!―
 前の車が迫っておかまほりそうだ、しかし、すんでのところで車線変更し追いこしてゆく。 
 朝方で、道には車が溢れかえっている、それでも、狭い車と車の間を縫うようにしてすいすいとRX-7は進む。爆音をがなりたてながら。突き進んでゆく。
 メイドロイド、かすみさんのドライビングによって……。
 スピードは一向に下がる気配もなく、それどころかますます上がっている。車内に響く轟音もけたたましく、思わず指で耳をふさぐ。
 それを見て、くす、っとかすみさんは笑っていた。アミダくじみたいに右に左にひらひらとRX-7を舞わせながら。
 向こうに、学校の校舎が見えてきた。大きな時計台の時計の針も見える。それを見て、僕はスピードに怯えつつも安堵した。
 なんとかセーフ。
 これで何度目だろう。
 さすがにセーフなのがわかると、RX-7はスピードを落として、ゆっくりと校門の前で停まった。周りの生徒たちは、珍しそうにこっちを見ていて、少し恥ずかしかった。
 そりゃそうだ、メイドロイドの運転するチューニングカーに乗って登校する生徒なんて、世界広しと言えども僕一人だろう。
「それでは、お勉強、頑張ってくださいね」
 車から降りようとしたとき、かすみさんはそう言った。笑顔で見送ってくれながら。笑顔もそうだけど、ふと、ハンドルを握る手の指のしなやかさに気付いて。僕はなんと言っていいかわからず、無言で頷いた。

 こうして無事遅刻を免れて、無事に学校も終わって、ふつうにバスで帰宅した。クラスメイトに冷やかされた。夕陽はまぶしかった。
 本当なら、自慢の愛機ジャガーのMTBで通学しているのに。ここ最近何度かマツダのチューニングカーで送ってもらっている。
「ただいま〜」
 と、玄関を開ければ、晩御飯のいいにおい。働き者のかすみさんは帰宅時間を見計らい、ご飯の支度をしてくれていた。
「おかえりなさい」
 と、迎えてくれて、カバンを持ってくれようとする。
「あ、いいよ」
「え、でも」
「それくらい持てるって」
 靴を脱いで家に上がって。笑顔で迎えてくれたメイドロイドをちらっと見やって。
「ごめんなさい」
 と、謝る。
「え、なにがですか?」
「朝、また送ってもらっちゃって。朝ごはんも、せっかくつくってくれたのに、食べられなくて」
「ああ、そのことですか」
 くす、と笑う。嫌味のない微笑みだった。この笑顔の裏に、メタリックくしのロボットの顔があるなんてとても信じられなかった。
 そのメタリックの女の子は、微笑んで言った。
「あなたにご奉仕するのが、わたしの役割ですから。お気になさらないで」
「でも」
「悪いと思ってくれるんですか?」
「うん」
「なら」
 と、言葉をとめて、その微笑を湛えた瞳で僕をじっと、見つめている。まともに、見返せなくて。ちょっと、うつむいちゃって。そうしながら言葉を待てば。
「ちゃんと、早起きして、食べてくださいね。わたしのつくった目玉焼き、とっても美味しいんですから」
 優しく注意されちゃって。でもたしかに、かすみさんのつくる目玉焼きは美味しい。かたすぎず柔らかすぎず、ほどよくとろっとした黄身は口の中でとろけて。
「そうだね。美味しい目玉焼きを食えないのは、損なことだね」
「そうですよ」
 そのとき、おなかが、ぐ〜、っとなった。真っ赤になった顔をかすみさんに向ければ、必死になって笑いを堪えているようだった。だけど、なぜか僕の方が我慢できなくて。大笑いに笑っちゃった。
 すると、彼女もつられて笑う。
 ふたりで、笑いあっていた。
 着替えた後も、夕食のときも、ずっと笑いあっていた。

その2 僕とかすみさんの生きている時代について

 さて、どうして僕がメイドロイドのかすみさんと一緒にいるのか。説明しなきゃいけないだろうね。
 時は大世紀末、から数年たった後の、大新世紀のころ。
 ちまたにはアンドロイドが大流行だった。事実は小説より奇なりとはよくいうもので、「2001年宇宙の旅」って小説と映画があったけど、その2001年になる前に人工知能は発達し、その技術革新はとどまることを知らず、ついにはアンドロイドまで造り上げられるようになってしまった。
 それは世に「大世紀末の大産業革命」と言われた。まさに大革命だった、人間が人間を造ったのだ。有機物と無機物のちがいこそあれ、たしかに、アンドロイドは生きているのだ。たとえ人間に造られた機械やプログラムによる意識体だとしても。
 科学者たちは、クラークとキューブリックに勝ったのだ! と鼻息荒かったようだ。でも、宇宙旅行はまだなので、完全勝利には至っていないんだけどね。
 それはそれとして。アンドロイドが人間社会に浸透し、今やなくてはならない存在にまでなっている。なにせ、ミス一つしない有能な作業員として各地の会社では争うようにしてアンドロイドを使った。
 それに伴って、人間に奉仕するアンドロイド、通称メイドロイドというものが爆発的に売れた。容姿端麗にして優秀なお手伝いさん、ということで、いくらか裕福な家庭では積極的にそのメイドロイドを購入していった。とくに現代社会を象徴して、両親が仕事で忙しい鍵っ子家庭も多いので、その能力はいかんなき発揮された。
 中には、よいではないかよいではないか、あーれーごむたいな、なんてことを目的として入手している人もいるとかいないとか……。
 それは一部にしても、僕はひとりっこで鍵っ子なので、例によってメイドロイドがつけられた。というわけだ。
 まあ、かすみさんには助けてもらっているので、メイドロイドを買ってくれれてよかった。とは思ってる。けど、Hな本やビデオ見たい放題って、ちょっと、出来なかったりしてねえ。
 おまけにさあ、あの、その。若くて、かわいいじゃん……。年頃の僕には、嬉しくもあり厳しくもあり、って感じで。胸がさ、服の上から見ても、たしかに膨らんでいるんだよお。彼女って、こんな、グラマー? って想像してしまって。
 そうそう、言い忘れるところだったけど。かすみって名前は、型式名称KAS-M1から来ている。え、どういう意味かって、そんなもの知らん。
 おっと、それともう一つ。メイドロイドはいいとして、どうしてそのメイドロイドがRX‐7に乗っているのかというと。僕がおねだりしたのだ……。
 僕は車が好きで、免許を取ってカッコいいスポーツカーに乗りたかった。それを知っている両親は。
「なら、東大に入ると約束すれば、お前の好きな車を買ってあげやう」
 と言ったので、なさけないことに僕は二つ返事でOKしてしまって。でも、世の中そんなに甘くない。
「ただし、現役で東大に入れなければ。没収だぞよ」
 と来たもんだ。だから、必死こいて猛勉強している。と、言わせてください……。
 言うまでもなく、17の僕には免許はなく。代わりに、かすみさんが運転しているというわけだ。自動車運転機能証明書さえあれば、アンドロイドでも車が運転できるのだ。
 運転手付きで車を買ってもらったことにもなるわけで、よくよく考えればすげー贅沢しているんだなあ。
 おまけに、なんでもこなすメイドロイドだから、運転も上手い。
「あの、どなたとお話されているんでしょうか……?」
 突然、かすみさんが不思議そうな顔して背後から声を掛けてきて。慌てた僕は驚いた。夕食を済ませて、部屋で勉強をしていて一休みしているときだった。
 僕の部屋には鍵がないんだよねえ。これで何度か、どきっとする場面もあったりして。
「わ、かすみさんか、脅かさないでよ」
「ごめんなさい、でも、何かおひとりで話していたようなので」
「え、ああ、これは独り言。人間、独り言が必要なときが在るんだよ」
「そうなんですねえ。人間って、そういうこともあるんですね」
「そうそう」
 かすみさんはやっぱり不思議そうにしているけど、しばらくして。
「わかりました。今日のことはセーブしておきますね」
 と笑顔になって言った。すると、参考書に目をやって、それから視線はノートにうつり。
「あ、この公式間違えてますよ。これはですね……」
 と、家庭教師の役目を買って出てくれた。いやまったく、かすみさんは本当に優秀なメイドロイドで。なはは〜、と笑って誤魔化すしかなかった。

その3 乙女機能

「えーと、なになに」
 登校前のいこいのひととき、かすみさんの入れてくれたコーヒーを飲みながら居間のソファーに腰掛けて、説明書を広げる。横にはかすみさん、ほのかなコロンの香りが鼻をなでてゆく。
「色々と機能があるんだね」
「はい。わたしの役割はご購入いただいたお客様にご奉仕することですので。その為には、様々な機能を備え付けているんです」
「なかなか、便利だねえ」
 と言いつつも、僕は説明書を前のテーブルに置いた。めちゃくちゃ分厚い、電話帳10冊分もあるその説明書を読破する気なんかないわけで。
 最初の2,3ページしか読まなかった。ただその中で、目次にあった「乙女機能」という文字だけはしっかりと記憶していた。
「乙女機能って、あるんだね〜」
 内心僕はドキドキしながら、かすみさんに聞いた。すると。
「いやだ、そんなこと、わたしの口からいわせないでください」
 と、恥らう乙女そのもののテレた表情で言った。
 いやはやなんともかんとも、期待させてくれる機能ではないか。
 これは、やっぱり、あれか。
 そう思って、いいんだよな?
 だって、その機能を持つ彼女自身が、そういう反応をするんだもん。
 とーちゃん、かーちゃん、おいら今、猛烈に感動してるよ! 小生、教育というものの奥深さを今噛み締めております。とか考えているうちに、時計の針が気になって。立ち上がる。
「おっと、いけない、それじゃあ僕はいくよ」
「はい、行ってらっしゃいませ」
 カバンを背にしょって、自慢の愛機ジャガーのMTBで颯爽と登校する。最近早起きできるようになって、かすみさんの手をわずらわせることもなく。
 ちゃんと朝ごはんも食べることも出来る。
 それはいいけど、なんでかRX-7のあのサウンドを聞けないのも、なんだか寂しかったり。今度わざと寝坊しようかな。
 などと、バカなことを思いながらMTBをこいでいると。前から妙なやつらが迫ってきた。股を広げてママチャリに乗り、妙に長い学ランを着た、風船のように膨らんだズボンをはいた。前に突き出た金髪リーゼントの怪しい顔した二人乗り。
 やばいなあ、と思いながらよけて停まった。けど。
 何を思ったのか向こうの方からぶつかってきた。といっても、軽くさわっただけで、こけることはなかったけど。直前に、きー、ってブレーキの音も聞こえた。
「いってーなこのやろう」
「え、え」
「え、じゃねえよ。ぐわー、肩が、肩が」
「え、え、え」
「折れたみてーだ」
「おい兄弟、マジかヨそれー。おいてめー、人にぶつかって肩まで折りやがって。治療費1億万円払えこのヤロー!」
 なにがなんだかわかんない。
 しかし、エマージェンシだ、異常事態だ。それだけはわかる、危険を感じて、僕は逃げ出した。

その4 乙女機能U

「このやろう、まちやがれぃ!!」
 僕は追われていた。パンチパーマとリーゼントの髪型の学生服姿の不良。ママチャリの二人乗りで、しつこく追いかけてくる。
 あろうことか、登校中僕は彼らとぶつかってしまった、ようで。しかも、肩を骨折させてしまった、らしい。その治療費として1億万円を請求されてしまったのだ、これでいいのかな。でも肩を骨折していながら、どうして走る僕を追いかけられるのか、そんな疑問を抱くゆとりはさすがになく、遮二無二に逃げた。MTBをこぎまくった。
 無情な事に、誰も助けてくれない。みんな知らん顔だ。この街中、人間とアンドロイドあわせて数万といるというのに、みんな都合よく通り過ぎてゆくだけだった。
 人を掻き分けながらコンクリートジャングルを突っ走り、お天道様もそれを見下ろすだけ。
「ああもう、こんなのやだーー!!」
 世の無情さに涙しながら、気がつけば、市内を流れる鑑川(かがみがわ)っていう川の川原にたどりついた。雑草の生えた土手が鑑川をはさんで、土手の雑草たちは騒がしい人間どもの出現に迷惑そうに、ざわざわと風とともにざわめきあっている。
 川は、そ知らぬ顔して流れゆく。
 近くに橋はない。逃げ場を失い、絶体絶命の大ピンチ。
「へへへ、神妙にしな、にーちゃん」
 こんな弟を持った覚えはないけど……、じゃない、マジでやばい。
 その時、ふとかすみさんのことが頭に浮かんだ。
 頼れるのは、メイドロイドのかすみさんしかいない!
「ちょ、ちょっと待ってください」
 と言いながら携帯電話を取り出した。呼び出し音が鳴る、1回2回3回、4回目で出てくれた。
「はい」
「あ、かすみさん、僕だよ」
 といってるうちにも、不良たちは迫る、迫りながら。
「ほほう、家から治療費もってきてくれるように頼んでるのか。いい心がけだぜ」
 とか言ってるけど、聞こえないふりした。
「と、とにかく、鑑川まで来て。早く、お願い」
「どうしたんですか、なにがあったんですか?」
「とにかく、来て、早く。場所は携帯電話のナビが送信されてるから、それでわかるよね」
「わかりました。すぐに行きますね」
 通話が切れる。携帯を懐にしまいこみ、後ずさる。
「おいおい、そんなに怖がらなくてもいーじゃかねーか」
「そーだよ、治療費の1億万円払ってくれりゃそれでいいんだからよー」
 とか言いながら、肩の折れたらしい不良は元気一杯に飛び回っている。まさか本当に1億万円払うと思っているのか。
 僕はただ、早く早く、と念仏をとなえるように心の中でつぶやいていた。すると。

がおぉぉぉーーーん、がおおおおぉーーん! 
 
 という爆音が響く。RX-7の音だ。かすみさんだ、かすみさんが来てくれたのだ。
 不良たちは驚いてそれこそ目ん玉ひんむきそうなほど目を見開いて、突然現れたRX-7を見ていた。
「な、なんだあ?」
「てぇめぇ。家から1億万もってくるんじゃなかったのかよお」
 土手沿いの道に停まるRX-7は太陽の光を浴びて輝いている。それがアイドリング音を響かせて、それが威嚇しているように聞こえるんだろう。
 不良のふたりの目が一気に血走って、拳が握られる。
「あ、あの」
「あのじゃねーよ」
「やめてください!」
 ドアが開かれて、かすみさんが土手に飛び出す。チューンドRX-7の乗り手がメイドロイドと知った不良どもは、唖然とした後きょとんとして、それから笑い出す。
 紺色のメイド服に白い前掛けを着たショートカットの女の子にRX-7の組み合わせは、確かにおかしいかもしんない。
「うわっはははは。なんじゃそりゃー、こけおどしかよー。いやコスプレかよー」
「てっきりジェームス・ディーンみたいなのが出てくると思ったのに、こいつは傑作だあ」
「これは一体どういうことですか?」
 かすみさんもさすがにとっさにはこの状況を理解できないようだ。だが、非常事態ということは、なんとか理解できたみたいだ。
 変な不良にからまれる僕を見て、たたた、と小走りに向かってくる。しかし。
「おっとねーちゃん、何する気だい?」
 と、前に立ちふさがる。
「なんですかあなたたちは?」
「おれたちゃこいつにぶつけられてよー、おれ肩の骨おっちゃってさあ」
 と、そいつはわざとらしく痛そうなフリをして、かすみさんに迫る。
「そこで、治療費1億万円払ってほしいわけよー。おねーちゃん、もって来たの?」
「それは、カツアゲですか」
「そうとも言うなあ。さあ、痛い思いをしたくなかったらはやいとこ出しねい」
「そうだよお、オレと同じ痛い思いをしたくなきゃあなあ」
 その瞬間、肩を折ったといってた方が宙に舞った。どさ、っと土手に背中から落ちて。それをもう一人が唖然として見ている。そうだろう、なんせ、かすみさんの様子がおかしい。
 目つきも鋭く、握られた拳は何故か天に向けられていた。アッパーカット、というものを食らわせたみたいで。
「て、てめえ。このあまあ!」
「うるさいわやあ!!」
 天をも貫きそうなほどの絶叫、それが、かすみさんの口から飛び出した。しかし、うるさいわやあ、とはどこの方言だ?
 本当にいたそうにあごをさすりながら、起き上がったウソ骨折不良は、かすみさんをにらみつけている。もちろん、もう一人のほうも事態を察し、身構える。
 僕は耳がいいのかどうかわからない。でも、なんか聞こえたような気がした。
「乙女機能、稼動」
 と、かすみさんの口から出たような気がした。空耳でなければ……。
「やる気が、おい」
「ならやってやるぜ。素っ裸にひん剥いてやろうか、ええこら!」
 凄まじい怒気をはらんだ声がぶつけられた。しかし、かすみさんは動じない。それどころか、薄ら笑みを浮かべていた。僕は、あまりのことに恐怖すら覚えた。
 おしとやかなかすみさんが、なんであんな。それに、乙女機能とは?
 それって、僕が想像してた、むふふなものではなかったのか。
 はっとして、機能説明が携帯電話の検索機能でも調べられることを思い出して。この間隙をついて調べてみることにした。

その5 乙女機能V

 太陽は照りつけ、それに見下ろされてきらきら川面をきらめかせながら鑑川は流れる。土手の雑草たちは、風と一緒にざわめいて。
 ふたりの不良とかすみさんは対峙する。 
 まさに一触即発。お互い、かかってこいやと鋭くガンを飛ばしあう。そのとき、ウソ骨折不良は言った。
「へ、おねーちゃん、多勢に無勢って言葉しってる?」
「ああ、なんのことな?」
「しらねーのか、なら教えてやるよ」
 というと、口笛を吹いた。すると、どこからともなく、わらわらとたくさんの不良がやってきた。やつら、こういう時に備えて全員集合の合図をもっているようで。その合図と同時に一気に集まるように仕込まれているようだ。
 土手には、同じような格好不良がたくさん集まって。さながら気○団コスプレ軍団全員集合の様相を呈してきた。それが、かすみさんを取り囲んで逃げ場がない。ちなみに、僕も……。
「なんなあ、おんしゃらタイマンもようせんがか」
「うるせえ、わけのわかんねえ方言くっちゃべりやがって。あごのカリは100倍にしてかえすぜ」
「そうそう、お(ピー)してま(ピー)して。お前に女の悦びってヤツを教えてやらあな」
「は、やれるがかや。へな(ピー)ンがあ」
「そうかどうかは、やってみなきゃわかんねーだろーがー!」
 その言葉を合図に、一斉に不良どもが飛び掛る。僕は、かすみさんがあられもない姿でとんでもないことになるのを想像しながら、しゃがみこんだ。

ドカ、バキ、グシャ、ガコン、ボキ、ドンガラガッシャーーン!!! 

 天地がひっくり返りそうなほどの凄まじい喧騒が響く。悲鳴も聞こえる。
 阿鼻叫喚、屍山血河の地獄絵図が土手につくられてゆく。メイドロイド、かすみさんによって。
「乙女機能、稼動」
 と、そう言っていたかすみさんは、乙女という言葉とは全然かけ離れた、それこそスケ番のように。
 迫り来る不良どもを、ぎったんぎったんにしてゆく。
「ば、ばかな……」
 不良は言葉も出ない。いや、出し切る前に、かすみさんの餌食になる。
 アッパーカットであごを砕き、正拳突きを腹にめりこませ、バックドロップでアタマを粉砕し、果てはDDT、張り手、あげくに陸奥○明流虎砲までも飛び出す始末。
 それを食らった不良は、鑑川に吹っ飛んでいって、派手な水しぶきを上げてそのまま沈んだ。
 誰ひとりとして、かすみさんにかなわなかった。竜巻もろ直撃、なぎ倒される麦畑の麦たち。
「あ、やっと出たのか」
 携帯電話の検索機能で、乙女機能の説明が出た。混乱の中、どうにかそれを読んでみると。

 メイドロイド、型式名称KAS-M1のお買い上げ、誠にありがとうございます。
 このメイドロイドには、様々な機能が備え付けられております。その一つ、乙女機能のご説明をさせてもらいます。
 乙女機能とは、お客様がピンチに陥ったときに、お客様をお助けする機能のことです。
 特に暴力などの危機に晒されたときに、身をもってお客様をお助けします。その力はまさにターミネーター。
 馬力にして、マックス460馬力となっております。
 ピンチの時にはどうかご安心して、KAS-M1の乙女機能をお使いください。
 ちなみに、乙女機能の乙女とは。
 幕末、土佐に生まれて維新回天の原動力として活躍した坂本竜馬を幼少の頃より鍛え上げた姉にして、女傑として知られた乙女ねえやんより命名されております。
 
「ってその乙女かよ!」
 どうりで……。
 こーのべこのかあー(馬鹿野郎)! そんなへっぴりでやれると思うちゅうがかあ! おらおらかかってこいやにゃあ! おまんら許さんぜよ!!
 とか言ってるわけで、それは土佐弁だったんだ。
 どうりで、どうりで。
 乙女なわけだ……。かなーり違うと思うけど、つか、これの筆者て、どこの生まれなんだっけ。
 そうこうしているうちに、断末魔の悲鳴が聞こえ、最後の一人が川に沈んでいる。潜水艦の潜望鏡のように、長いリーゼントの先っちょが川面に突き出ている思ったら。ゆっくりと沈んでゆく。そのリーゼントは、あのウソ骨折不良のだった。

その6 乙女機能W

 もう、川のせせらぎに草のざわめき以外に聞こえるものもない。
 全ては終わった。
 乙女ねえやんと化したかすみさんによって、治療費1億万円を要求した不良どもは、鑑川のもくずとなって、きれいさっぱりと洗い流された。
 土手に在るのは、かすみさんだけ。堂々と仁王立ちして太陽の光を受けて、輝いている。それは、いっぴきのうつくしいけものをみるような、神々しささえ感じた。
 ヴァルキリー、北欧の神話に登場する戦乙女。そのイメージが、ふっと、浮かんだ。
「あ、あの……」
 と、いてもたってもいられずに声を掛けた。すると、かすみさんは僕の方を向いて。
 顔が紅潮している、あたりをきょろきょろと見回している。そうかと思うと、いきなりしゃがみこんで。
「さっきまでのわたしは、あれはどうしてしまったんでしょうか」
 と、両手を紅潮した頬にあてて言った。さっきまで、たくさんの不良どもをぎったんぎったんにしていたかすみさんとはかけ離れて。
 いつものかすみさんに戻っていた。
「え、それは、乙女機能が」
「乙女……。わたし、わたし……。そんなつもりじゃ、ただ、あなたを守りたいと。それだけで」
「それは、わかっているよ」
「いや」
 肩に触れようとしたら、顔を背けて、泣き出しそうだ。何もいえなかった。絶句しているようで、彼女は彼女なりに、乙女機能を使ったことを恥じているみたいだ。
 とても、AIプログラムで出来た意識体とは思えず。一瞬、本当の人間じゃないか、とすら思った。なんだか、この時になって妙に冷静でいる自分も怖かった。
 助かったんだ、だからほっとしてもいたけど。
「帰ろう」
「え?」
「だから、うちに帰ろう。なにはともあれ、助かったんだし。もう、学校もさぼるさ、今さら行っても仕方ないし。一日くらいかまわないさ」
 そういって、ジャガーのMTBに乗った。
「さあ、かすみさんもRX-7に乗って。家まで競争だ」
 言うなりダッシュする。かすみさんはあわてたようだ。
「あ、まってくださーい。もう、でんでろさんの意地悪ー」
「あはは、悔しけりゃつかまえてみな」
「もう、ほんとにおこりますよ」
 といって、RX-7をダッシュさせる。けたたましい爆音が響き、あっという間にブッちぎられたと思ったら、風の破片がぶつけられ、頬をなでてゆく。 
 そのリアテールは小さくなって、見えなくなった。
 でも、どうせまた後で会うんだし。慌てることもない。僕はゆっくりとジャガーをこぎながら、鼻歌を歌い、そよ風を受けながら、僕自身もそよ風になっていた。

その7 赤い誘惑

 世に変わり者という人がいるのなら、それはこの人の事を言うのだろう。
 その人は、今教室の教壇で教鞭を振るっている。
 黒くストレートなロングヘアをなびかせて、その赤いスーツ姿は彼女のスマートなボディを象徴するために着られていて。黒くて丸い瞳のおさまるその切れ長の目は、授業を真面目に聞かない生徒をみのがさなかった。
「そこ!」
 という張りのある声とともに、白くて細くも長い人差し指が突き出される。
「授業中に居眠りするんじゃない。廊下に立ってろ!」
 指名された生徒は物言わず、教室を出てゆく。
 やがて、終業のチャイムが鳴る。
「今日はここまで。次から戦国時代、特に斉藤道三の下克上と織田信長と明智光秀による本能寺の変、将軍足利義輝の討ち死について、各自今日の授業のレポート提出のこと。それと、キチンと予習をするように。以上!」
 彼女、という言い方は失礼かもしれないけど、アヤメ先生はつかつかとハイヒールの音を高らかに響かせて教室を出てゆく。
「は〜、つかれたあ〜。アヤメ先生の授業は毎度きついよな〜」
「ほんとだよなー。美人で性格が超きついっていうのは、怖いよなあ〜」
「そうそう、セクハラした校長を学校から追い出したくらいだもんね」
「あんな女になりたくないわね…、はー、どうしてあたしたちの歴史の担任、アヤメ先生になっちゃったのかしら」
 男女入り混じって、アヤメ先生の陰口がささやかれる。それを耳にしながら、聞こえない振りしてあくびをした。事実彼女は、学校では恐怖の代名詞にもなっていた。
 だけど僕は僕なりに、悩み事があった。アヤメ先生についての悩みが。
 それは、誰にもいえない悩みだった。そりゃそうさ、まさかアヤメ先生に告白されたなんて、口が裂けてもいえない。それ以前に誰も信じてくんない。
 
 忘れもしない、2週間前、アヤメ先生に突然生徒指導室に呼び出されたのだ。別に僕は呼び出されるようなことはしていない。
 どうしてと思いつつ、生徒指導室にいけば、そこにはアヤメ先生がいた。
 背筋を伸ばし、腕を後ろに回し。窓から校庭を見下ろしている。
 よくみれば、後ろに回された手に、なにやら白い封筒が握られていた。ついでに、なだらかな孤を描くヒップも視界に入る……。
「ああ、よくきてくれたね」
「ええ、まあ。お呼びということで、なんでしょうか?」
「うん、それなんだけど」
 と、小さく咳払いをしたかと思うと。白い封筒を差し出して。
「でんでろ君、あたしと付き合って」
「へっ!?」
 いまなんていった? あたしと付き合って? それに、その白い封筒、ハートマークのシールが貼られているし。
 これは何の冗談だと思った、しかし、アヤメ先生は冗談の通じるしゃれっ気のある人ではない。それどころか、それは赤い魔女とか言われて生徒や先生から学校中で恐れられている性格の超きついお人なのだ。
 それが、どうして。
「あたし、年下好みなの。でも、こんな性格でしょ。だから男の子たち全然近付いても来てくれなくて……」
「は、はあ」
「でも、君だけは、違ったよね」
「というと」
「君は、毎回欠かさずちゃんと課題やレポートを提出してくれるよね」
「え、ええまあそりゃあ。でもそれは他にも……」
「その時の表情でわかるの、みんな嫌々だしてるのが、ね。仕方ないよね。でも君だけは、いつも笑顔でいてくれる、それがとても嬉しいの」
 あのアヤメ先生が年下好みとは意外だった。ってことは、教師になったのも好みの年下の男の子が目当てだってことか? なんとも、恐るべき新事実。
 しかし愛想がよかったのかどうかわかんないけど、それはおそらく、かすみさんの作ってくれた朝ごはんが美味しかったのと。夕食のメニューはなにかなと楽しみにしていたに過ぎない。
 それが、どうもアヤメ先生を勘違いさせてしまったようだ。
「だめ? そりゃああたしは、君より8つも年上の年増女だけど……」
「ちょちょっと」
「でも、その分経験豊富よ。いろいろなことを、教えて上げられるわ」
 いろいろなことって何だ! と突っ込みたいのをこらえて、答えは保留にさせてもらった。させてもらうとき、その目が鋭く光るのを見逃さなかった。
 つーか、生徒と教師のやりとりじゃねーよなあ。
 
 どうしようと思いつつ、教室を去り際に、彼女の瞳が僕を捉えていたのを思い出し。悩みはますます深くなってゆく。
 やがて学校も終わり、ジャガーのMTBに乗って下校しようかというとき。アヤメ先生が現れた。
 都合の良い事に、周りには人はいない。そのせいか、妙にほくそえんでいるようにも見える。腕を組み、さてどう料理しようかと考えているようでもあり。校舎の陰で夕陽は届かず、ほのぐらい自転車置き場にありながら、その赤いスーツが異様にまぶしい。
 答えを出さない僕にじれて、ついに強硬手段にでるのかと、いやけっこうマジで怖かった。
 だけど、そうじゃなかった。
「違うって、いくら短気でもそこまで莫迦な真似はしないさ」
「え、それじゃ」
「たしか、君のところにはメイドロイドがあったんだよね」
「はあ、ありますが。それがなにか」
「そうか、いやなんでもないの。さっきのことは忘れて」
 といって、立ち去ってゆく。忘れろといわれても、いかにもあやしげで忘れられないわけで。この人はますます何か勘違いをしているような気がしてきたのだった。

その8 赤い戦慄

 考えた末、僕は夕食時かすみさんにことの経緯を打ち明けることにした。どうせ他に打ち明ける人もいないし、溜め込むにしても、もうキャパシティ一杯だ。そうなれば、結局かすみさんしかいなくなる。
「え、ご相談ですか」
「うん、これは他に人に言えないことなんだ。だから、秘密にしてくれる?」
「もちろん、わたしには、お客様の秘密をお守りする守秘義務があります」
「よかった、実はね……」
 と、アヤメ先生のことを言えば。かすみさんは、聞いてくれる。
「と、いうことなんだ」
 言い終わって、かすみさんは笑い出す。おかしそうに笑っている。
「な、なんだよ笑うことないじゃないか」
「ご、ごめんなさい。でも、おかしいんですもの」
「なにがおかしいんだよ、僕は真面目に悩んでるんだよ。そりゃ美人に告白されて嬉しいけどさ、僕は彼女とか持つ気は今はないんだ、でも、怖くてそれが言えないんだよ」
「それ以前に、でんでろさん、もてそうにありませんのにね」
「て、えー! そんなこというのー。傷つくなー」
「ごめんなさい、でも、わたしウソはつけないんです」
 何もいえなかった。まあ、ウソをつかれて後で、ホントは……ってなるよりかはマシだけどさ。しかし、かすみさんにそう思われていたなんて。
 メイドロイドとは言え、女の子にそういわれるとマジできっついよなあ。でも、そんな僕が美人の女性教師に告白されるとは。世の中わからない。
 正直、怖い。僕の性格でアヤメ先生と上手くやっていけるかどうか。まあ、人をそういう目で見ちゃいけないけどね。
 それから、そのまま一夜が明ける。気分はすっきりしない。
 無理矢理起きてみれば、時計の針は……。
「あー、やばい遅刻する!」
「でんでろさんでんでろさんでんでろさん!」
「あ!」
「きゃっ」
 なんとしたことか、パジャマからブレザーに着替えている最中にかすみさんはやってきた。しっかりと、パンツ一丁の姿を見られてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
 と手で目を覆いながら、かすみさんは出てゆく。しかし、彼女も慌てているようだ。入り際に僕の名前を3度も続けて呼ぶとは、こんなことは初めてだった。
「わたし、RX-7のエンジンかけておきますので。着替えが終わったら、すぐ来てくださいね!」
 それからことは中略、どたばた慌てるまま、かすみさんのドライブするRX-7は学校目指して猛ダッシュだ。
 あいかわらずこれだけは慣れない。際どいタイミングで次々と前の車をかわしてゆく、一歩間違えば大事故だ。それを当たり前のようにこなしている。
 絶叫するマシン、吹き飛ぶ景色、スピード。無事現役で東大に入れれば、これが正式に僕のものになる、なんともおっとろしいものをおねだりしてしまったんだろう。
 しかし、平然と乗りこなすメイドロイドのかすみさんも、おっとろしいといえばおっとろしい。
 そんなことを思っていると、突如横からRX-7を追い越そうとする赤い車があった。
「って、え」
 ハイスピードで突っ走るRX-7を追い越そうとするなんて、どんな車だと思って見れば。それは、NSXだった。しかも、どこかで見たことのある人が乗っていた、それは。
「あ、アヤメ先生!?」
 追い越し車線のRX-7の助手席側の真横に並ぶ赤いNSXの運転席が、すぐ近くに迫っている。向こうもこっちに気付いたようだ。驚いた表情をして、口をパクパクさせている。でんでろ君! とでも叫んでいるんだろうか。それは、マシンの雄叫びに掻き消されてわからない。
 だが、その視線は僕のさらに向こうの、かすみさんに向けられていた。目が鋭く光ったようだった。
「なんですって、アヤメ先生?」
 かすみさんも気づいたようで、真横にいるNSXに視線を移す。そこには、自分を鋭く光る目で見据える女性教師の姿がある。
「この人が……」
 何といっていいのかわからず、ただ頷いた。その途端、NSXもRX-7もおかしな動きをしはじめた。
 お互い真横に並んだまま、それどころか前に出ようとしているのか、スピードはどんどんあがってゆく。
「かすみさんかすみさんかすみさん!!」
 今度は僕がかすみさんの名前を3度続けた。そりゃそうだ、RX-7の前には他の車。ナンバーが読み取れるほど迫っている。
「わかってます!」
 それだけで、車線変更しない。NSXのいる第一車線は空いてて、少し速度を下げてNSXを前に出せばそこにうつれるのに。そうしようとしないのだ。
「本当にわかってるの! やばいよぶつかるよ!!」
 真横のアヤメ先生もアヤメ先生だ。この状況がわからないわけじゃないのに、RX-7がよけるスペースを空けてくれようとしないなんて、何を考えているんだ。
 だめだもうぶつかる。僕はRX-7が前の車に追突すると思い、一瞬覚悟を決めた。その時。
 なんとRX-7は対向車線に出て、前の車を避けたのだ。たしかに、対向車線は空いていた、でも皆無と言うわけじゃない。前から対向車が迫ってくる。全身が石になる。
 だがまたさらに、RX-7は対向車線の第1車線に逃げ込んだ。いてはいけない位置にいるRX-7に、歩道を行く人々も目を見広げて驚く。もう無茶苦茶だ。
 かすみさんはハンドルを左に切って、そのまま一気に自車線に戻り、再びNSXと並ぶ。並べば、RX-7とNSXのマシン同士の大合唱。お互いのサウンドをかち割りあって、朝の街の澄んだ空気を引き裂きブチ破る。
「もうやめて!」
 たまらず、大声を上げた。どうして学校に行くだけなのに、こんな危ない思いをしなきゃいけないんだ。
 かすみさんは、じっと前を見据えたままだったけど、僕の声を聞いてブレーキを踏んで安全速度をキープする。NSXはお先にと前に出て、そのまま消えていってしまった。
 どうにか、終わったようだ。終わって、タガが外れて。
「もう、危ないじゃないか! 何考えてんだよ!!」
 我知らず、僕はかすみさんに大声をあげてしまった。もちろん、こんなことは初めてだったけど、今はそんなことに気付くゆとりもない。
 かすみさんは、何も言わない。沈黙のまま、RX-7を学校まで転がすだけだった。
 
その9 赤い苦悩

 それから、かすみさんの様子はあきらかにおかしかった。さっきの車の運転もそう、食事のしたくも、塩と砂糖を間違えたりして。洗濯にしても、ポケットの中を確認しないで洗っちゃったり、おかげでとっておきを収めたMDがパーになったことも。それだけならまだいい、妙に表情が暗くなって、こっちまで暗くなってしまう。
 こっちはこっちでアヤメ先生のことで悩んでいるというのに。せめてかすみさんには、笑っていてほしかったのに。
 まさか、故障? あんまり酷ければそれもありうる、その時は両親に相談してメイドロイドの買い替えを頼もうかと思った。故障したメイドロイドに殺されるなんて、アンドロイド黎明期のころにはよくあった事故だった。最近はほとんどなくなっているらしいが、それでも絶無ではない。
 万能メイドロイドといっても、所詮は、人間の造ったものだから……。
「で、京都の本能寺において、織田信長は『是非もなし』と叫んで明智軍と戦い……」
 という声が途絶えた、と思ったら。
「そこ!」
 という張りのある声。
「あ、は、はい!」
「なにをぼーっとしている。真面目に聞かないか! 最近どうした、やけに多いぞ。後で生徒指導室に来るように、いいな」
 ぴしゃりと言われた。あいかわらず、相手を屈服させるような高飛車な声。しかし、それは後で行く生徒指導室で、猫なで声になるのは容易に想像できた。
 だけど、他の生徒は知らないわけで。哀れそうな目でこっちを見ているやつもいる。
「いーなー、オレもアヤメ先生の個人授業うけたいなー」
 って冷やかしがあってもよさそうだけど、一切なく。それだけにアヤメ先生がみんなからどのくらい恐れられているか、というのがわかるというものだ。
 それから、明智光秀が羽柴秀吉に敗れるまでのことをなんとか真面目に聞きながら。歴史の授業は終わった。
 さて、生徒指導室だ。机をはさんでお互い向かい合い、椅子に座って。先生は腕と足を組んで斜めを向いて、どこか高飛車な態度だったけど。案の定、授業での高飛車な威圧的な声はなりを潜めて、悩ましげな猫なで声が僕に迫ってくる。
「ねえ、でんでろ君。いつになったら、答えを出してくれるの?」
「ご、ごめんなさい」
「年増はいや?」
「そ、そうじゃないんです」
「なら……、やっぱり」
「え?」
「あのメイドロイドのコが気になるの?」
 ついに来たー、って感じだった。ますます勘違いをしている。かすみさんはそりゃあかわいいけど、ロボットだよ。それが気になるなんて、そんなわけないじゃないか。
 こうなりゃ、思い切って本当のことを言うか。彼女を持つ気はありません、と。いや、言ってしまえ。まさか命まではとられまいて。
 と、言ってやった。ついに言ってやった。
 美人の先生の誘惑はそりゃ嬉しいけど、何故かいまいちその気になれない。そうだ、かすみさんも言っていた、ウソはつけないって。だから、本当のことを言うしかないんだ。
 アヤメ先生は、静かにそれを聞いていた。素直に受け入れてくれるかな、と思った。しかし。
「ふふ、うそおっしゃい」
 って、え?
「あのコに遠慮して、そんなことを言ってるんでしょ。わかるわよ」
「先生、いい加減なこと言わないで下さい。いくら僕でも怒りますよ。いや、セクハラと訴えて校長にしたように、先生を学校から追い出すかもしれませんよ」
「やってごらんなさいな。この身一つ生かすだけなら、なにも教師じゃなくてもやっていけるしね。それに、そうなれば教師生徒というわずらわしさから解放されて、純粋にひとりの女として君に近づけるしねえ」
「く……」
「まあ、怒った顔もかわいい」
 この事態をどうすればいいんだろう。かすみさんにまで、もてそうにない、って言われた僕が先生に迫られるなんて。何かが間違っている。
 苦悩する僕を見て、やれやれという感じでアヤメ先生は言った。
「あのコ」
「え?」
「どうして君があのコの運転するFDに乗っていたのかは知らないけど、どうして、あのコあたしと張り合ったのかしらねえ」
「……」
 そうだ、確かにそうだ。別にかすみさんはアヤメさんと張り合う必要もないのに、あんなことを。おかげで怖い思いをしたけど、思えば、かすみさんはどうしてあんなことを。
 それから、沈黙が流れて。空気が重い感じがして、それを思ったとき。アヤメ先生はぽつりと言った。
「そんなにだめなの? やっぱり、あたし嫌われ者だからなのかなあ」

その10 罪深きは

  その晩、夕食を済ませて。 ―夕食時、ふたりともずっと黙ったままだった、こんなことも初めてだった。かすみさんはずっとうつむいてて、こんなことも初めてだった。その間、憂鬱だった― 自分の部屋に戻って、鬱憤晴らしに「伝説のバリバリD」という走り屋アニメをみることにした。
 思えば、この走り屋アニメがきっかけで車が好きになったのだ。
 走り屋たちの血沸き肉踊る激しいドッグファイト。一気にとりこになったものだ、僕もこんな風にかっこよく車で走りたいと。
 アニメでは、走り屋たちは壮絶なドラテクを駆使し、マシンを走らせる。それを見て、興奮する僕。その時。
 こんこん、というノックの音。食器の片付けを終えたかすみさんが、何の用があるのか僕の部屋にやってきた。一時停止をして、いいところを中断されて、思わず舌打ちして、はっとして。ドアを開ければ。
 そこには、かすみさん。
「あの、今いいでしょうか?」
「え、うん。いいけど」
「お飲み物をもってきました。どうぞ」
 といって、ミルクの入ったコップの乗ったお盆を差し出す、が。
「あっ」
 と、手が滑って落ちてしまった。
「ごめんなさい。すぐ拭きますから」
 しゃがみこんで白い前掛けで、床にこぼれたミルクをふき取ろうとする。その姿が、やけに苛立たしかった。どうしてかわからない。今まで、こんなことなくて、仲良くやってきたのに。
 いやこれは、お金で買われた商品なんだ。
 そうだ、どうあつかおうが、それは買ったものの勝手のはずだ。もっとも、買ったのは両親であって僕じゃないけど。でも、当面の実質的な持ち主は僕だ。
 例えば、部屋に引きずり込んで、ベッドに倒しこんで……。なんてことも、やってもいいんだ。メイドロイドは、持ち主に直接的な危害を加えられないように設計されている。だから、よいではないかよいではないか、あーれーごむたいな、なんてことする人もいるし。メーカーもそのことについては触れないで黙認している。
 事実、それが出来るようにも、限りなく人間と同じように造られているんだから。
 視線が、しゃがみこむ彼女のうなじにゆく。しろくて、ほっそりしている。紺色のメイド服が少し影になって、首の付け根をやや薄墨色に染めている。そこに、手を持っていって……。
 って、まて。なんでそんなことを考えるんだ。
「どうしたんですか?」
 僕の様子に気付いて、かすみさんが顔を上げた。その顔は、どこか悲しげだった。最近お互いにギクシャクしてて、そんな中で、お互いがしたこと。
 僕は鬱憤晴らしに走り屋アニメを見ようとして、かすみさんは飲み物を持ってきてくれて……。
「情けない……」
「え?」
「ごめんよ、ごめんよ……」
 力が抜けて、しゃがみこむ。かすみさんは、わけがわからないと、僕の肩に触れて。
「どうしたんですか? どうして、わたしに謝っているんですか。謝るのは、ミルクをこぼしたわたしなのに」
「そうじゃない、そうじゃないんだ」
「じゃあなぜ」
「かすみさん、こんなに僕に良くしてくれて。世話をかけてくれて。なのに、僕はそれに気付けないで」
「そんな、気にしないで。わたしはあなたにご奉仕するためにあるんですから」
「でも」
 というと、かすみさんは、微笑んだ。彼女の微笑を見るのは、ずいぶん久しぶりな気がした。そんなに日にちもたってないのに、それだけ、色々と考え込んじゃったわけか。
「優しいんですね」
 そっと、耳元でささやく声。肩に触れる手の温度を感じながら、その声をかみしめる。
「わたしの方が、もっと悪いのに。この間、危ない思いをさせてしまって。それで嫌われて廃棄処分されても仕方がないのに、あなたはわたしをそばに置いてくれている。だから……」
「だから?」
「好きなんです。あれは、やきもちなんですよね。ダメですよね、メイドロイドがそんなことじゃ……」
 ぽた、ぽた、と。涙が床に落ちて。床に残るミルクと混ざる。泣いていた、彼女は、かすみさんは泣いていた。
「ごめんなさい、ありがとう……」
 そう言いながら、いきなり抱きついてきた。突然のことに、バランスを崩して倒れそうになるのを堪えた。それは、とてもアンドロイドとは思えなくて、人間のようだった。
 科学者が言った。
 最高傑作としての完全無欠なAIを作り上げるまでになった我々人類は、なんと罪深き生き物なのだろう。キューブリックは敗北感を味わうどころか、未来を憂いて天国で頭を抱えているかもしれない。
 いいんだ、罪深かろうが浅かろうが。だって、僕はもてないんだし、そんな僕を好きといってくれる女の子がいて。僕も、その女の子が好きになった。
 それで、また一つ罪を犯してしまうけど。それが、人生ってヤツなのかなあ、と。泣いている女の子を抱いて、17の僕は僕なりに考えた。

その11 僕らの向かうところ 
 
 妙に心臓がどきどきして、彼女の体温を感じて。
 僕の手を、彼女の背中から肩に回す。すると、彼女が僕に回す手に、かすかに力が込められる。
 初めてのことだった。女の子とこうして抱き合うのは。
 しばらくの間、こうしていたかった。
 このまま眠ってしまいそうな心地よい気だるさを感じながら、お互いの体温を感じていた、ら。

ギャァアアアアア!! 
 
 って、音が水を差す。
 驚き慌てて離れる。
 ふたりして、音の方を見れば。それはさっき見ていた「伝説のバリバリD」だった。そうだ、一時停止でとめていて、時間が経って一時停止が解けたんだ。
 慌ててビデオを止めた。
 かすみさんは、そんな僕を見て笑っている。
 それを見て、僕は何を思ったのか。
「そうだ、RX-7でどこか行こう」
 といった。
「え」
「さっきのアニメ見てたら、乗りたくなっちゃって」
「そうですか。好きですね、でんでろさんも」
 と言いながら、うきうきしながら外に出る。庭の駐車スペースに停まるRX-7。今は静寂の中、静かに眠っている。その静寂は、イグニッションキーをひねると同時に破られて。
 かすみさんのドライビングによって、どこかへと向かった。

 そのどこかは、とある峠道だった。
 僕もかすみさんも、何も言わない。お互い頷きあって。アクセルはフルスロットル。
 峠道を包み込む漆黒の闇を、ヘッドライトで切り裂く。夜空にはサウンドが叩きつけられる。
 何もない峠道。
 僕とかすみさんの、ふたりきり。
 RX-7は曲がりくねった道を突っ走っている。
 暗闇、スピード、爆音。人の心に恐怖をしみこませるものを感じて。心拍数が上がってゆく。吹き飛ぶ景色の中、僕らはお互いの手に触れ合って。
 右手で触れる、シフトノブを握るかすみさんの左手に温かみを感じて。
 安らぎを感じた。
 右手だけのワンハンドステアリングで、RX-7はドライブされている。
 峠を走るのは、初めてだった。今まで登校でしか使った事がない。勿体無い。
 いつか、僕がこのRX-7をドライブする。その時は、かすみさんが助手席に……。期待と怖さが入り混じって、ドキドキする。こんな気持ち、初めてだった。
「でんでろさん……」
 と、かすみさん。少しかすれ声のように聞こえた。
「もうすぐ、峠は終わります。どうしますか?」
「それは、任せるよ」
 というと、かすみさんは何も言わず、峠を抜けた。この先には、確か宿泊施設が何軒か並んでいるはずだ。その中には……。RX-7はそこに向かっていた。
 結局、その気持ちは抑えられなかったわけで。どう処理していいかわかんなくて、それをスピードとサウンドで誤魔化そうとしても、誤魔化せなかった。 
 だから、受け入れることにした。ちぐはぐになりそうなものを、全て一つにするために。
 さっきとはうってかわって、RX-7は静かにさえずり進んでいる。今までのスピードとサウンドは、どこかへと飛び立っていったみたいで、違う世界に少しの間迷い込んでいたみたいだ。
 お互いの手は、変わらずシフトノブにあった。
 それから、僕らは、同じ部屋で朝を迎えた。

LAST 今 

 故郷を離れて、東京に出て。
 いくつもの朝と夜をむかえただろうか。
 それも覚えていない。
 でも、ただ一ついえることは。
 そばには、いつもかすみさんがいた。
 今も、そばにいてくれていた。
「でんでろさん」
「ん、なんだい?」
「これから、どこに行くんですか?」
 ふたりで、ふらっとドライブの最中。でも行き先は決めていない、風の向くまま気の向くまま。
「さあ、どこに行ってるんだろう。どこがいいかな?」
「未来へ、行きましょう」
「え?」
 突然のその言葉に、バグでも起きたかと冷や汗をかいたが、それを見るかすみさんは笑っていた。
「ふふ、驚きました?」
「ああ、驚いたさ」
 と、苦笑いをしながら応えた。ちょっと、シャレにならないジョークだけど、まあいいか。でも、そうかもしれない。
 珍しく空いている湾岸線を突っ走るRX-7は、青空を追いかけていた。どこまでも果てしなく続く青空、白い雲、輝く太陽。みんな追いかけていた。
 でも、追いつけない。それでも、僕はアクセルを踏み続けた。
 アクセルを踏めるようになるまでの間、色んな事があった。忘れられない思い出の数々……。
 特に、あの人の流す涙は、冷たくもあり温かくもあり。
 僕の心の中で、その涙が、一粒溶け込んでいた。
 なにも言えなくて、それをそっとそのまま仕舞い込んで、それから逃げるように、後ろ髪を惹かれるようにアクセルを踏んでもいた。 
 右手はハンドルを握って、左手はシフトノブ。その左手に触れるもの。
 かすみさんの右手。
 温かかった。 
 その温かみは、安らぎを与えてくれたけれど。僕に罪をおかさせもした……。償うことの出来ない、取り戻せない今までのこと。それなら、いっそブッちぎっちまえ。
 そう思って、僕はRX-7のアクセルを踏んでいた。
 さよなら、今までの日々。そしてこんにちは、これからの日々。 
 これからの日々が、今となって僕らを出迎えてくれて。
 それでどうする?
 わからない。
 わからないから、その今を通過して、僕らは未来に向かっている。
 かすみさんと一緒になって、青空を追いながら、青空の向こうに何かがあるような気がして、アクセルを踏んでいた。







でんでろよりの御礼
ども、最近小説の中でモテモテなでんでろです。
この作品は、赤城康彦さんのオリジナル小説「metallic girl」シリーズのイラストを何点か 描かせていただいたことが御縁になり、プレゼントしていただいたパロ小説です。 随所に赤城さんの愛とこだわりのつまった素敵な読み物です。
主人公の名前がアレな以外は(笑)
香澄さんがメイドなんだとだけ聞かされていて、 どんな作品なんだろうとワクワクしていたら、何故か僕が主人公で ありがたいことにモテモテ、ラストすごいことになっているし! いいんですかね、こんなにモテて?
いいんですって!素敵な作品をありがとうございました♪

「metallic girl」が読める赤城康彦さんのHPはこちら
赤城さん

そうそう、「metallic girl」本編には私は登場しませんのであしからず(笑)

なお、上のイラストに使ったRX-7の写真は、近所のアパートの駐車場から 許可なく撮ってきたもの許可なく使用したものです 年式とかチューニングとかカラーリングはかなり違いますが、 あくまでイメージということでご容赦ください。