12/10(火)



開発に命をかける理系人間ってのは一種異様なオーラがありますね。

今月の3日に、工業技術センターでお世話をして下さったSさんと

そのフロアの課長さんと僕と友人Tの4人で、最後だからということで駅近くの居酒屋に

飲みに行ったんですけど、センターの2人は何処に行っても開発の事が頭から離れないようです。

普通に話をしているつもりが、突如雰囲気がプロジェクトXになっちゃうんですよ。



「娘にピアノを買ってあげたんですが、楽しそうに弾いてますよ(笑)」



こんな感じで世間話をしていてもすぐに突然話の流れが変わって



「ところで半導体レーザーの仕様だけど────」



もう2人のまとったオーラがハスキーボイス歌い出してるんですよ!

♪風の中のすばる〜♪砂の中の銀河〜と中島みゆきの『地上の星』を。

一番BGMとしてしっくりくるのはあの曲をおいて考えられないね。




「ここの湯豆腐って美味しいでしょ?」



とまあこういう会話は一分も続かず、お酒が入ってますますヒートアップするのは開発の仕事の話ばかり。

普通のサラリーマンなら上司の悪口とか、どこそこの風俗のおねーちゃんがどうこうという話とかするモンじゃないの?



「新しい軸の設計が課題で今後の問題点を────」



もう店内いっぱいに大音量で鳴り響いているよ、♪つばめよ高い空から教えてよ 地上の星をって!

終いには背後に見えてる見えてるよ!!久保ジュンが!!

聞こえた聞こえた!!「エェッーークスッ!!!」というシャウトが!!


難しくて何言っているのかさっぱりわからない人間を見て退屈なら

この人はプロジェクトXに出るんだ、と想像してみて下さい。以外と退屈しませんよ。

『地上の星』がガンガンならむしろナレーションを入れたくなります。


12/9(月)



ウチの弟2人はメチャクチャ常識から外れまくった人間だ。

現在14歳で中学2年の弟2は、末っ子独特の生来わがままな上に、最近反抗期な上に内弁慶のため、

とにかく親兄弟の言うことに反抗してばかりである。

親父当たりが切れてドメスティックバイオレンスな事態にならないかはなはだ心配である。

さらには、笑っていいともスタッフ編「世紀末クイズ」を

どこからともなくもらってきては読んでいる。今はもう21世紀の初めなのに。

しかも最近偏食がひどい。ウチ以外のどこかの世界に、

一回の食事で生卵ご飯と納豆ご飯を立て続けに食べる中学生がいるのだろうか?

うぅ思い出しただけで胸やけがしてきた。キャベ2が飲みたいです。



もう一人常識から外れているのは社会人1年生の弟1である。

最近変にオッサン臭い面や時代遅れの面が出てきた。

オッサン臭い面として休日になると愛車の洗車を行っているが、その洗車を行う際、

必ず高校の時に着ていたジャージを着用している。

3年以上使っていい加減裾も短くなったジャージですよ。

ヤンキーみたいな格好して学校ジャージなんてすごーい変!


時代遅れの面として、大事マンブラザーズの「それが大事」のCDを

わざわざTSUTAYAに行って借りてきて、家の中で大声で歌いまくる。

別にちょっと前の邦楽を借りて来て聞くぐらい恥ずかしいことでも何でもないこと。

でもそれがバカ売れした時期も突然音楽シーンから消えたことも知っている

俺くらいの年代の人間からだと、理由もわからず恥ずかしいからとにかく止めてくれ!といいたい。

この気持ちがよく分からない人は「♪一生一緒にいてくれや」

と某ヒット曲を人通りが多いところでなんとなーく歌っている人に遭遇した場面を想像してみて下さい。



さらには究極の時代遅れとして食事中に10回クイズを仕掛けてくる。



弟1「ピザって10回言って!!」

でんでろ「・・・・・・肘!」

弟1「先回りすんなよ!!ぎゃはははは」


もうこのどこに出しても恥ずかしい弟2人をどうかしたいです。

だれかもらってやって下さい。

まったく兄弟の中でマトモなのは長男のでんでろさんくらいですね、もう!


12/8(日)



〜ミカン責めの日々〜

長崎県北部の特産といえばミカンであり、しかも農家が毎年毎年作る過ぎるから

県民は悪夢にミカン星人がいまさら出て来るほど毎日ミカンばっかり食べなければならない。

悪夢見てるのって絶対俺だけじゃないって。

ミカン農家なんて毎年相当な量を出荷して、それでも余りまくって

処分に困っているようだし、駅の構内で売られているんだから

「ミカンを粗末にするな〜〜〜・・・・売れないからって捨てるな〜・・・・」

というミカンの亡霊に取り憑かれていること間違いなし!!

自宅より最寄りの駅で、広告棚に改造を加えたような台の上で

売っているデフレミカンがついに100円で25個オーバーとこの冬の最安値を更新。

一個4円ですよ。ジュース一缶120円のご時世に一個4円。

もう金を儲けたいとかそういう次元を越えている。

しかしこれを決して買ってはいけない。

なぜなら長崎県人たるものミカンなんて金をだして買うものではないからだ。

水と平和はもはやタダでは手に入らない、と言われるようなって久しいが

長崎県のミカンに限っては上手く立ち回れば水より安く手にはいる。

毎年毎年誰が持って来るんだろ?あれだけの量のミカンを。

「お前のミカンは俺のもの、俺のミカンは俺のもの」

というジャイアン理論を押し通しても誰も怒ったりなんかしないし。

それにしても、このデフレミカンを持ち込んでいるのが駅員ならば彼はささやかにクレイジー。

おそらくはそうだ。駅の業務が終了して誰もいなくなって無人駅状態になったら

ミカンが綺麗に片づけられているから。

工業技術センターに通っているときも、昼飯のデザートにでもミカンはいかが?

というか食え!!食え!!食わんとお前の家を燃やしに行くぞ!!

というくらいミカン責めにあう毎日だった。

お昼のランチは、技術センター2階の小会議室兼憩いの部屋のようになっている

誰かの研究室に、職員の人たちに混じって俺ら学生も食べていたのだが、

そこに来る職員、来る職員全員がですよ

「ミカンもらってきましたー」
「ミカンいかがっすかー」

と両腕いっぱいのミカンを抱えて次から次へとやって来た日は本気でみんなビビっていたのもだ。

もう一回のランチで三個は必ず食べていたし。

しかも立て続けに食っていると味にまでこだわるようになるし。

技術センターにはミカンを食べに行っていたと言っても過言ではない。

現在に自宅にも相当な量の在庫が残っていてどうしよう?


極めつけは自宅の郵便受けの上にみかんが三個並んで置いてあった。

なんで郵便受けの上にあるんだよ?いつ誰がどういう目的で置いたのか一切不明。

そしてその奇妙な光景を、奇妙と俺以外の誰も思わないところがさらに謎。

もうミカンはいい・・・・ミカンは。


12/7(土)



今日はハウステンボスでバイトだったんだけど、上の人間からもの凄い陵辱を受けましたよ、もう!!

なんか知らねーけどサンタの衣装を着て接客しろとか言うの!!

異教徒が祭りをやるのは勝手だしそれにかこつけてイチャつこうと勝手ですよ!

だからってそいつらのウケを狙って恥ずかしいコスプレをさせるなんて人権侵害もいいとこ!

こちとら米食って生きている日本人な上に筋金入りのブードゥー教徒ですよ!

人をカメラのシャッター押す生ける機械と勘違いしているバカップルにゾンビパウダーをシュパッと投げつけて

生ける屍に造り替える事を許可してくれるなら喜んで着てあげますがそれもダメとか抜かしやがる。

一緒に働いた女性から「私も着るんだから着なさい!」と脅されたから仕方なくサンタの衣装着てやりましたよ、商売を。

それがしっかり作ってある衣装ならまだしも、なんか生地がフェルトなの。

あのアップリケに使うようなあのチープなフェルト。わたを潰して色を付けただけのようなフェルト。

しかもさらにチープ極まりないのは前の合わせがボタンでもジッパーでもなくてマジックテープなところ。

ものすごいキタナイ衣装だなぁと思っていたら五年も前から使っているというとんでもない追い打ちをかけられる。

女性用と男物とあって、女性用は買ったばかりな上に作りも断然しっかりしていて綺麗なんだけど

男物は平日スタッフも毎日着ていて全然洗濯してないし、こんなにキタナイ生地のあの衣装を一日中着ておけって酷い話ですよ!

子供が見ても別に夢が膨らんでいないどころか「サンタさんの服ってこんなキタナイ服なのか」失望させているのが

言葉に出されなくても態度から解ったよ。

さらには上下とも着せられたんだけど、下は普通のズボンの上に履いて二枚重ねにしないとずり落ちるほど腰のサイズが大きい!

それで二枚重ねで履いたんだけど、そうするとタマ○ンのポジションがすぐ悪くなるうえに直しにくい!

もうサンタの衣装なんて最悪の衣装ですよ。

もう二度と着るか!今年はもう着なくて良さそうです。一生着るか!!


12/6(金)



昨日付けで工業技術センターに通う生活も終わりました。

Gウィルスに感染した人間が「Good Bye....Ada.....」の後も進化し続けて写メールを使えるほどの知能を持ったら

あんな感じになるんじゃねーかなーというようなブス女子高生への

リターンマッチできなかったことだけが唯一の心残りですが。


さて来週の15日に『学士』の資格を得るための試験を受けるため、しばらく更新不定期になります。

今日から試験勉強モードに入りますが、大したことなさそうだったら

勉強の合間を縫って工業技術センターでの出来事などで更新できたらと思ってます。


さて師走も人それぞれのペースで過ぎていき、

クリスマスのまる1日をアホアベックに10000円で売りたいと思っているでんでろさんですが、

その日に起こす予定の連続ラブホ放火事件で捕まることがなければ、大晦日にバイトすることになりました。

そこでちょっと連絡事項があります。

年越しそばでも食べながらのんびり紅白を見るのも悪くはないでしょう。

しかし、いい加減お前も彼女とかいないのか、今は紅白を見るより

恋人と初詣に出かけるのがナウイんだぞと、毎年うるさく言ってくる家族に

日本刀を持って斬りかかってしまい、家中をブラッドの太平洋

にしてしまい、とりあえず警察への自首は新しい年が明けてからにしよう、

とまあこんな感じで迎えそうないつもと違うニューイヤーを

21000発の景気のいい花火で飾って幕を開けてみたい方


ハウステンボスでバイトしませんか?


仕事内容は昨年と同じく橋から人が落ちないように見張る仕事です。

もしかしたら違うかもしれませんが。

詳細は


日程:2002年12月31日『ハウステンボスカウントダウン』
時間:@集合時間  19:30※集合場所は後日報告いたします。
   A入り時間  20:00
   B勤務時間  19:00〜25:00(6時間)
場所:ハウステンボス内[ハーフェン橋付近]
人数:20名(男性)18歳以上 ※高校生不可

時給:1000円(交通費込み)



とまあ、こんな所でしょうか。

さらに今年はでんでろサンタからの特別ボーナス!今年は先着十名さまに


名作がつまった素敵なビデオをプレゼント!!


しま〜す!

興味のある方はまずは管理人にメールをください。

さらに詳しい詳細が固まり次第追って連絡します。

まあね、年末年始もでんでろお兄さんと一緒ならこの世のサンタを間近に見ることになりますよ。






12/5(木)

〜非モテのための恋愛論〜
最終回・人は誰でもモテはやされたい



半月に渡る非モテのための恋愛論も今日で最終回です。

最後に私なりに考えた非モテとは何かを明確にしておきたいと思います。

それは、非モテとはモテに至るまでの過程に過ぎないのであって、

人種でも病気でも宿命でもないということです。



この半月ほどいろいろと考えてみましたが、

現代はモテている人間とモテない人間の二極化が激しいような気がします。

私のように21歳になる今まで女性とお付き合いをしたことが皆無に等しい非モテもいれば、

ムフフビデオの男優さんなんて強者もいます。

昔は年頃になれば当人達が望む望まない関係なく周りが勝手に家ぐるみで結婚させてくれたわけで、

非モテとってはありがたい事この上ない慣習だったでしょう。

現代ではモテたいなら自分でどうにかせねばならず、言い換えればモテはすべて自分の責任の時代なのでしょう。

しかしモテなくてもとりあえずは生きていけます。これは問題といえば問題です。

生きることとモテることは切っても切り離せない関係にあるというのに・・・。

人が生きていくためなら人はいくらでも助け合いができますが、モテるためとなると極端にそれが少なくなる。

モテることは生きることより遙かに難しいのです。



『生まれたからには生きてやる!』



某ロックバンドの名曲からの引用ですが、

この歌詞に込められた、ぶざまで泥臭くても逞しく精一杯自分らしく生きていこうというメッセージも、

このご時世ではなんとなく清潔感さえ漂わすようになりました。

他人が語るのを聞くときは実にいい言葉だと思いますが、いざ自分の理念として口に出してみると、

何一人で夢語ってんだ ハズいヤツ!と心の奥で恥じ入って、

ああそうかいカッコイイ生き方ですね、せいぜい頑張りな〜

と投げやりであまのじゃくな自分が横やりを入れます。

とてもじゃありませんが、私にとって他人に宣言できる信念ではありません。

偉大なる先人の言葉が、『どうせ』『だって』『でもね』でたやすく輝きを失ってしまう。現代は本当に難しい時代です。

それでも何かの言葉で自分を奮い立たせなくてはならないときはこう呟くようにしています。



『生まれたからにはモテてやる!』



なんとなくフッと笑えて肩の力が抜ける感じがしませんか。

真剣に口に出してみればみるほど、努力すればするほど滑稽ですが

モテない自分を、なんとなくではありますが

気持ちよく笑い飛ばせる力があると思いませんか?

毎日寝る前に一言、布団の中で呟いてみたら、

次の日の朝、目覚めた自分は昨日よりモテるようになっているはずです。



モテることは、生きることと同義、いやそれ以上に深い意味を持つのです。

喜びは人がモテに向かって前進しているときに得られるもので、

苦しみはモテないことによって人が歪んでしまった時に起こるものなのです。

そんな大げさな、と思われたモテ人間さんはまだまだ真のモテには到達できていないのです。

世界中の誰もが真のモテに到達し、人と愛し合うことの大切さを知った時・・・。

その時こそ人類は新しい次元に一歩踏み出せるのではないでしょうか。



2002年 12月5日
BGM   ”ガッツだぜ”  by  ウルフルズ



↑大ウソです



時折非モテのくせに偉そうに説教してばっかりなうえに

根拠の無いことを想像だけで断言したり偏見でものを書いたりを繰り返しましたので

内心穏やかでなかった方もきっといらっしゃると思います。

お前は間違っている!と思われた方もきっといらっしゃるでしょう。

そう思われた人の方が絶対正しいです。

それでも今日まで読んで下さったなら、御礼と同時にお詫び申し上げます。

ありがとうございました。


12/4(水)

昨日は工業技術センターの方と飲みに行ったため、恋愛論はお休みしちゃいました。


〜非モテのための恋愛論〜
第14回・浮き世とモテ



ある週末のバイト中にある同僚の1人との他愛のない雑談をしていました。

私が、某長崎ちゃんぽんチェーン店で、思いがけなく素敵な店員さんとの出会いを


「とんでもない美人店員に会ったよ、名前はSさんっていうんだ!
 日曜の夜10時頃に行けばきっと会えるよ!
 きっと人妻だよ!人妻!!もう人妻はサイコーさ!」


 という具合に話していたら、その同僚から


「芸能人でいえば誰に似てる?」


と訊かれてしまい、ちょっと困ってしまいました。

「もう例えようもないほどのとてつもない美人!美人過ぎて美人過ぎてそんな彼女にフォーリン・ラヴ!」

とその場しのぎで答えておきましたが、

美人を説明するのに、芸能人やアイドルに似ていることを持ち出さなくてはならないとなると、

流行りに疎い私のような人間としては一瞬戸惑いを感じざるを得ません。

身の回りにいる魅力的な人間は必ずしも有名人に似ているとは限りませんし。

感動を説明する尺度に、世間に広く知られている物事を持ち出すことは

受け手としては分かりやすくもあり、何も悪いことだと言っているわけではありません。

ただ「芸能人でいえば誰に似てる?」と訊くのはやはりモテる人間の考え方だな、と思います。

事実、彼は他人に迷惑をかけるほどのモテ人間です。

非モテとモテる人間の間には、モテ以外でもハッキリとした考え方のずれが存在しています。

私たち非モテは、一人一人の個性なんて芸能人とくらべたら軽んじられて当たり前なんだなんだ、と思いこんではいないでしょうか。

非モテは往々にして自分の個性に自信がありません。

世間一般の魅力や価値観と出会ったとき、非モテの場合は自分の個性との間のずれを意識せざるをえず、

過敏に反応しすぎてしまうのではないでしょうか。受けとり方によってはますますモテなくなってしまう。

言い換えれば大きな社会とは非モテにとっては恋愛がしにくいということです。

メディアでは恋愛はこうあるべき、という情報が氾濫しています、

テレビをつければ、付いた別れたホレたフラれたできちゃったの愛憎劇が

ドラマでもニュースでもバラエティでも溢れ返り、それに乗っ取って行動するのが常識になっています。

私のような非モテは「いつかは自分もモテる!」

と思いつつもテレビのようにスマートでイケてるスピーディーな恋愛はもう絵空事です。

本気で羨ましいなんて思わないし、むしろ怖いくらいです。

おそらく自分が100年前に生まれた人間だったらもっと積極的なモテ人間だったのではないかと思います。

別に「なんだ近頃のモテるモンは!テレビの真似しかせん!!」

とおっさんくさい怒りを顕わにしたいわけではありません。そんなコトするとますますモテません。

ひとつ言えることは、日本ではLT革命が起こっているとように思われます。

私のようにIT(インフォメーションテクノロジー)には強くてもLT(ラヴテクニック)には弱い私のような非モテは

早急にLT講習でも開いて欲しいところです。

巷に溢れるLTを自分の中でどのように消化するかによって、モテるか否かが決まるのではないでしょうか。

素直に受け入れられればそれが一番モテに繋がるのでしょうが。

明日はいよいよ最終回です。


12/2(月)

〜非モテのための恋愛論〜
第13回・モテは体質によるものか



例えば大きな怪我とか病気をしてしまったが、それから奇跡的に回復したら

体質が変わってモテるようになるような気がする・・・・と思いながら日々過ごしております。

とりあえず、暴走トラックの前に飛び出して「僕は死にません」と叫んでみたら

轢かれなければ彼女がウェデイングドレスで駈けてくるし、

轢かれたら前述のように、体質的にモテるようになるし、いいことづくめなのです。

今日の『モテるヤツに学ぼう』はこれくらいにして、

果たしてモテることは体質によるところが大きいのでしょうか。それとも精神的なものなのでしょうか

雑誌の裏表紙なんかによく載っているモテ薬の広告によると、

イタリア人の男性は、女性を惹きつけるフェロモンを多く出しているという学説があるそうです。

では日本でモテている日本人はきっとイタリア人の血を引いているのでしょう。

日本というのは実は多民族国家で、日本人の祖先は主に4つの民族に分けられるという通説があります。

その中には今のイタリア人の祖先と共通する民族がいて、その血をどれくらい引いているかモテモテぶりが決まるのでしょう。

それならどうひっくり返ってもモテの遺伝子が無い人間はモテないのでは?と思ってしまいがちですが、

遺伝子は環境や努力によっては一世代で変化しうる、と貞子シリーズで有名な作家の鈴木光司さんも仰ってます。

一週間以内に他人にビデオを見せたら死なずに済む上に、モテモテにもなれるというオプションをつけてくれたら

世界中がモテモテになるのに・・・・貞子も気が利かないですね。

それならば人間ならば誰もが持っているであろうモテ遺伝子を覚醒させるように努力してみましょう。

さてモテとは異性からモテるという種類の魅力ですが、

このことは人間のある特性や才能の別の側面ではないか、と考えられないでしょうか。

人参等の緑黄色野菜に多く含まれるβカロチンは体内に摂取されるとビタミンAと同じ働きをするそうです。

結論から言うと、ある人のモテ度は別の側面ではその人の『知名度』ではないかと思うのです。

複数の人からモテているかはとりあえず置いて、モテている人は

より多くの人に顔と名前を知られている、いわゆる有名人ではないかと思います。

芸能人やミュージシャンは言うまでもなく、クラスの目立ちたがり屋なんかでもそれなりにモテています。

モテたくて行動しているわけではないのでしょうが、常に間接的なモテへのフィードバックになっているのです。

モテるための努力、ファッション雑誌を読んだり、ブランドに頼ったりとなんかガツガツしているようで、

素直に実践するとますますカッコワルイのでは、思ってしまいますが、

とりあえずモテはさておき、常に知名度を上げることを念頭に入れて行動してみるとモテに近づけるのではないでしょうか。

こんな事を書こうとすると、出る杭は打たれるし、後ろ指も指されるから

普段から目立たないように生きているほうがいいに決まっているだろ、

と引きこもりの自分が耳元で囁きますし、巷に溢れる「NOと言えない日本人」的な説教かよ、とも自分で思いますが、

非モテを自称している人は、極端にそう思う傾向が強すぎるのではないかと思います。


さて表題の『モテは体質によるものか』という疑問に対する答え。

昼型人間・夜型人間程度の体質であり、改善は可能である。

遺伝子覚醒の話がどこかへ行ってしまいましたね。すいません。

きっと相当な努力や環境次第では覚醒は可能です。


12/1(日)

〜非モテのための恋愛論〜
第12回・非モテの核心に迫る



モテを定義するのは簡単です。モテとはモテモテです。

では非モテの定義とはいったい何なのでしょうか?


・単に恋人がいない状態
・異性とうまく接することができない
・深く接触を持つことができない
・またそう思いこんでいる状態


と、定義は人によって様々でしょうが、

ここで問題にしたいのは「非モテ」が単なる状態を表す言葉を越えて

ひとつの人種のようになっていることです。

そしてそれはモテる人間から拝命されるというより、

モテない人間が自分で非モテだと名乗っている、という点です。

非モテであると自分で認めてしまったらその十字架を割と長く背負って生きなければいけないのです。

それは良くないですね。早いところその十字架から降りちゃいましょう。

ごく限られた空間、たとえばネットにおいて笑いのネタとして非モテが尊重される場合がありますが、

非モテであることで笑いが取るには、よほどの才能とエピソードが必要です。

自分を非モテであると認めることは百害あって四利ほどありです。バランスは取りましょう。



しかし私が何かにつけ非モテ非モテと繰り返すのは、笑いが取れているいう自負からではありません。

ここのところはしっかり強調しておきたいのですが、

私は日々、モテるふりをして生きています。

他人に迷惑をかけないに行動し、頼まれたらイヤとは言わない。

行ったことがないオシャレスポットに、僕も行ったことがありますよ、とウソをつき、

観てない映画を、僕も観ましたよ面白かったですよ、とウソをつき、

興味がないことにまで興味があるふりをする。

このモテるふりというのは私にとって疲れるものなんです。

自分の好き勝手して生きていけると思えるほど子供ではありませんが、

せめてここでは「俺は非モテなんだー!」と正直でいたいのです。

私が非モテでなかったら、今この珍文を読んでいるあなたと出会うことはなかったでしょう。

その点では自分の非モテっぷりに感謝しています。